ヘルパーステーションけろけろ 

訪問介護員。介護福祉士。IUGRによる帝切含め、帝切4回。要介護3の姑を在宅介護。

嵐の夜を乗り越えるまで…「セレーノ」を聴きながら

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お引越しを主人から伝えられてから、いくつもいくつもの眠れない夜がやって来ました。

夜中に、あっ!と目が醒めるのです。暗闇に次々と様々な考えが浮かび、もう眠れません。夜中にテレビをつけて、ぼうっと観ては涙を流す日々が続きました。

姑さんの介護体制は、この数年間をかけて、やっと作り上げたものでした。またイチから作る体力も自信もありませんでした。主人の身内からの援助はお引越しについても生活についても、ほとんど期待できない状況でした。姑さんの睡眠障害はますます顕著になりつつあり、食事の内容も難しくなってきていました。今後どうなるかわからない状態に、私は本当に姑さんを最後までケアできるのかという不安がありました。昔のいざこざをお互いに忘れていけるのかという不安が拍車をかけました。

主人の障害程度は、明らかに重くなりつつありました。本人も自覚していて、昨年秋には自分用に車椅子を作りました。思ったよりも時間がかかりましたが、普通より少し大きめの車椅子が届いて、ひと安心したところでした。でも、このまま日が過ぎて、いつまでも自立歩行できたらいいのに、車椅子がムダに思えても、などと正反対のことを考えたりもしました。主人が正社員で働けているからこその生活。なんとか必死で頑張っている自立歩行。お引越しがその障害を悪化させないか不安がありました。

次女の斜視の手術を決めようとしているところでした。出来るだけ年齢が一桁の方がよい、と大学病院で言われて、夏休みを検討していたところでした。昨年夏にやはり斜視の手術を受けた長女は、再度、手術予定がありました。同じ大学病院を希望しているのに、お引越し…。

そして何より、年末から続く自分自身の身体の不調がありました。

大晦日の晩まで働きました。秋に、姑さんと主人の食事や介助の事で日勤の訪問介護を辞め、新しい事業所に冬から移ったばかりでした。たくさんのケアに早く慣れようと必死でした。大晦日の晩、8時過ぎて地下鉄の駅に着いた時には、歩けなくなってきていました。階段が上がれず長男に電話して迎えにきてもらいました。その後、お正月明けてすぐに、主人が出張中に私は体調を崩して近所の内科を受診し、甲状腺のあたりに異常が発見され、大きな病院へ行くことになりました。春に腫瘍摘出の手術になりそうという事でした。さらに追い討ちをかけるように、3月頭に婦人科系で大出血を起こし、夜中に社宅の廊下を血まみれにして救急で受診し処置を受けて入院、退院したばかりでした。体調は悪化し、気管支炎も起こし、仕事をひと月半も休む状態でした。体調不良もあって不安でいっぱいでした。

どうしようどうしよう。転勤族の私たちのお引越しは、いつもかなりの部分が私の肩にかかっていました。昔は自分の荷物をまとめたり、台所を片付けた姑さんは、身動きとれなくなってきていました。主人は頭が回転するだけに、あれを持ってきて、これはこうして、と指示がたくさんで、私の走り回る日々が加速していきました。頼みの長男次男長女は、転勤の影響を受けない寮のある学校におり、7月半ばまで帰省してきません。

どうして、いま、なんだろう。どうしたら良いのだろう。誰かを恨んだり憎んだりしたい気持ちが夜中に湧いてきます。

お引越しを知った主人の同僚や奥さんたち、お友達、知人は「頑張ってね。」「応援してるよ」「お祈りしてますよ」などなど言葉をかけてくださいましたが、もう頑張れという言葉は一生聞きたくない気持ちでした。これ以上、わたしは何をどう頑張るのだろうか…

さらに、主人の上司たちをメールや手紙、電話で私に悪く言う方々もありました。私たち家族の状況を知ってなおこの転勤はいじめではないか、とか…。主人はそのようには思っておらず、上司たちとの話も済んでいたのですが、私はショックを受けていました。親の介護もしていない、何も知らないひとたちが、私たちを追い詰めるんだ。そんな風に思い始めていましたし、まるで私の心を見透かしたようにそういう意見がたくさん私のところにやってきました。

いくつもの嵐の夜が過ぎて、それでも心は乱れていました。

そんな中、つい最近になって、私はいったい何が辛くて何が欲しいのかと突き詰めてみました。

わかって。私が辛い気持ちをわかって。

ずっとそう叫んでいたようでした。

でも、だれもわかってくれない。もう誰にもわかってもらえないんだ。そうして、けろけろと泣きました。

ある日、本当にふと、あ、人はだれも本当に誰かの気持ちになることはできない、だって、みんな別々なんだもの、と思いました。

誰かに私の辛さや気持ちをわかって欲しい、そればかり考えてきたけど、それはどれだけ待っても無理なんだ。いつだか主人が私に「おれの脚の痛みや苦しさは誰にもわからない。お前にも、母親にも、わからない。だって、おれ自身ではないのだから。」と言われたのと一緒でした。

そうだ。私は一生待っても、本当は手に入らないものを欲しがっていたのだ。みんな別々なんだ。なのに、誰かわかって!わかって!とないものねだりをしていたんだ。みんなそれぞれが、自分の戦いを独りで戦っているのに、自分の気持ちをわかれ!とムダな叫びを繰り返して自分の気持ちを追い込んでいたんだ。そしてこれはこのお引越しだけじゃない、毎日の生活も同じことだったんだ。

そう思った時に、何かや誰かを恨む気持ち、羨ましいと思う気持ちがすっとなくなった気がしました。

私は神様の存在を信じているのだけど、恨みつらみをいうばっかりでした。でも、違うんだな。そうじゃなかったんだ。上を向いて行こう。横ばかり見るのじゃなくて。

私の本当の辛さやしんどさや涙の夜は、きっと本当には誰もわからない。でも良いんだ。いつかどこかで、この毎日を想像してくれる人もあるかもしれない。お仕着せじゃない本当の言葉で、大変だったね、辛かったね、と横に座ってくれるかも知れない。もしかしたらそんな人は現れず、ずっと誰も寄り添ってはくれないままかも知れない。でももういいや。上だけ向いて歩いて行こう。後悔のないように。

絵は、大好きな小野リサの「NaNa」のCDジャケット。20年以上前に「セレーノ」を最初に聴いたCDです。

セレーノは、しずかな青空という意味だそう。

嵐の時には青空を夢見て静かにしていよう。嵐の雲の上には、しずかな青空が広がっているんだね。お引越しのテーマ曲だ! セレーノを聴きながら、宮崎の青空を思っています。

 

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