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ヘルパーステーションけろけろ 

身体障害2級のだんなさんと要介護3の姑さんと4人の子供たちと一緒に、大阪から宮崎まで引っ越ししてきました。家庭と介護と仕事など、様々な生活の記録です。仕事で訪問介護員をしています。

医療に救われた子供を医療に返す

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 今回の引越しでは、宮崎に行ってから遅れて参戦してくる長男。

今は千葉県の看護大で看護師を目指しています。

実はこの長男は、33週で緊急帝王切開で出産になりました。おそらく今にして思えば、妊娠初期から体調が悪かったのは、妊娠する前に身体がしっかりできていなかったのではないかと。ずっと東京で仕事していて、あっという間に結婚式になってしまい、あっという間に妊娠したので、仕事していた時の適当な食生活と仕事疲れがとれないままで、身体の準備ができていなかったんじゃないかなー…と思います。

とにかく悪阻で入院、その後も妊娠中毒症になり(今の妊娠高血圧症候群)確か、8ヶ月くらいで(すでにうろおぼえ…)検診の時に「お腹で赤ちゃん大きくなっていませんから、入院して様子をみましょう」になってしまい、入院しました。本当は胎児の推定体重が1500gくらいになったら帝王切開で出しましょうという話でしたけど、33週である朝、ノンスト(胎児の心拍を計る)の結果(確か、毎日やっていた)どんどん胎児の心拍が落ちてきていて、医師が「このままでは亡くなってしまうので、母体搬送できるNICUのある病院を探す」と言われて、いくつかNICUが空いておらず、最後に銀座の向こうの病院へ母体搬送していただき、到着後に速攻で緊急帝王切開になりました。

手術室に新生児科の医師も気管挿管の準備をしてスタンバイしてくださっていたのですが、おかげさまで無事になんとか呼吸ができて、挿管はなしですみました。

出生時の体重は1338gでしたが、1ヶ月半の間に、NICUとGCUに入院して無事に退院できました。男児は特に肺機能が弱いと言われて、極小未熟児だと男児は助からない確率も高いと言われていたので、かなり心配しましたが、無事に出生できたのは、母体搬送を決断してくださった主治医と、その後のケアをしてくださった新生児科の医師や看護師さんたちだなあと思っています。いっときは、生後の体重の自然な減少で、1000gまで落ちてしまい、本当にびっくりしましたし、もう助からないかなーと思っていました。

退院後も、小児くる病にはなっていたし、未熟児特有のロボットのような手足の未熟な動きもあり、歩行は1歳8ヶ月でやっとだったし、晩ご飯のあとに寝かせていたら、仰向けのままで噴水のように嘔吐していて誤嚥性肺炎で入院したり、体重が増加せずに市の検診の医師に虐待通報されそうになったり。いろいろありましたし、小学校に入るまでずっと新生児科にフォローしていただいていて、どうしてこうなっちゃうかなーということもたくさんありました。その度に、もっと健康に産んであげられなかったのは、悪かった悪かったと思っていて、いつも悩んだりくよくよしたり。

小学校の3年生くらいのときに、未熟児カウンセリングを受けた長男が「ママはぼくを見る時にいつも悲しい顔をするからごめんなさい」と言われて、なんということをしていたんだ!と本当に反省。

せっかく助かった生命なのに、いつもいつも「もっとこうこうだったら良かったのに」ばっかり考えていて、またたくさんの方にあれこれ確かに言われたし、辛いなあと思うこともたくさんでしたが、今、このままでいいんだよね、と思えた瞬間でした。

もちろんその後もとんでもない事件が多発したり(いじめとか)しましたが、長男の多動性についてや、できることとできないことの差が大きかったりすること、手足の動きの未熟さなどで工夫が必要でした。そんな時に、九州で受診していた新生児科の医師が言ってくれていた「1回でわからないことがあっても、100回教えたらわかる。何か失敗しても、よくやった!もっと失敗しろ!と言ってやれ」ということを憶えて、本当に100回くらいやらせたこともあったり。そうすると本当にできるようになるのですよね。結局は親の方が自分の都合でいらいらしていたりしていたんだなとこれまた反省でした。

GCU(Glowing Care Unit・NICUを出た未熟児等の成長のためのユニット)で、長男の隣のコットにいた子のうちひとりは、2歳になっていてとても大きな子でした。とはいえ、未熟児ばかりの部屋の中での大きな子ですから、普通よりは小さいのかな…でももう両眼を失明していました。そして誰も面会には来ていませんでした。どうやら、未熟児で産まれて失明してしまったあと、会いにくる人がいなくなってしまい、ずっとこの部屋にいるんだとか。またもう片方のとなりの未熟児ちゃんのほうにも、面会はありませんでした。こちらは看護師さんたちがよく電話連絡をとっていたようでしたが、不倫で産まれた赤ちゃんが未熟児で、親にあたるひとは退院後面会にこなくなってしまったとのこと。相手のひともくる気配がなく。

長男が産まれた当時は、1000g前後の未熟児の生存成長率が確か50%ほどだったと思います。生きたくても叶わなかった赤ちゃんや、緊急帝王切開後に亡くなるお母さんもいました。せっかく助かった生命…とその時にとても切なくなりました。

いろんな事情もあるし、いろんな困難もたくさんあるんだ。でもこんな形で産まれてきて、生存していて、それでもさらに困難がふりかかっている子供もいるんだ。

あの子たちどうしてるかなあ…乳児院に行くって言っていたけどなあ…。そんなことも思い出したり。

長男の進路について相談をしていたころに、長男のいろんな希望もあったのだけれど、彼の持っている様々な運や、困難なこと、しんどかったこと、希望のあること、などを考えて、一度、この人生を与えてくれた医療へ戻って行ってみては、という話が出ました。あの出産の時に、必死で生命を守ろうとしてくれた本当にたくさんのひとたちがいなければ、おそらく長男の今の毎日はないのだと思います。

そういえば、長男が1歳になるまで、毎日約10回ほど嘔吐していて、栄養状態も悪く、受診してもがんばれがんばれと言われるばかりで、夜中もいつ嘔吐するか横で眠ることもできず、こっそり、この子が亡くなったらこの写真を使おうと、写真を決めていたなあと思い出しました。1歳の誕生日がきて、本当にやっとやっとの思いで、少し安心できたこと。そう考えたら、1歳以降の長男の人生は儲け物なのかもしれない、誰かの何かのために長男の人生があるのかもしれないなとも思いました。長男にもそのような話をして、きみがお世話になった場所をみてみるのもいいかもね、と言ったら、そうだねーおれってほんといい人生だねーっていうので、そうだねーって。

長男が今後たくさんの経験をして、次は自分が助けられたように、誰かのためになってくれたら、相当うれしいかもと思ったけろけろでした。

(未熟児についてはまだまだ話があるぞう。笑)

カットは先日ご挨拶におうかがいした八尾でいただいたアボカド。たくさんありましたが、ソフトで美味しかったです。

 

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