ヘルパーステーションけろけろ 

訪問介護員。介護福祉士。IUGRによる帝切含め、帝切4回。要介護3の姑を在宅介護。

訪問介護員になったわけ

f:id:kaerunorinchan:20160902162125j:image

けろけろの訪問介護員人生は大阪でまさかのスタートでした。

愛媛から転勤でやってきて、長男次男の学費がかかるし、とにかくパートに出てくれという主人の意向もあって、スーパーのパートとか、派遣の登録とかいっぱいしてみた。

けっこう応募したけれど、資格も特にないし問題外で、とにかく落ちる落ちる。笑

スーパーのレジは、算数が苦手なので自信がなくて(さらに機械に弱い)あえて却下。ビル掃除とかどうかなーと思って応募したりしていたんだけど、なぜかバスも通らない場所にあるカトリック教会運営の障害者施設で野菜を売る、というパートが派遣で決まりかけた時に、前に落ちた「人助けが好きなあなたに!」というわけわからんキャッチフレーズの会社から連絡があり「資格を(実はその資格が何かわからなかった)会社もちでとれて、時給もいいし」ということで、派遣をお断りしてそちらに。というのも、派遣先が、大阪市内なのにバスも電車もまったくないすごい場所に自転車で通うことになるため、二の足を踏んだんです。

ところが、大阪の日本橋の会社に応募したのに、実際には新今宮の雑居ビルの上のほうに閉じ込められて。それもびっくりするような大量の教科書を渡されて「さあ勉強してください」とちょびっと怖いお兄さんに言われたり、すごいけばけばのおばちゃんにすごまれたりして。笑 結局は、当時の介護職員基礎研修の資格取得を会社がさせて、各部署に配置するというシステムに組み込まれていたんでした。それも基礎研とって同じ会社に半年いたら50万、1年いたら100万が市からくるとかなんとか。だもんで、基礎研とれそうになって会社に残りたくない的なことを話していた30代女子は別室に呼ばれてすごまれていた…こ、怖い。でも実際のところ、そのすごいやり方でけろけろは基礎研を取りました。

善し悪しはともかく、そのままその会社にパートで入って配属先は日本橋訪問介護部門だったんだけど、内実は西成区のあいりん労働センター横のサービス付き高齢者住宅(サ高住)内を走り回ったり、西成、天下茶屋、また戻ってきては道頓堀、日本橋を走り回るというすごい状態になっておりました。

その後、深い事情があって(身の危険と警察沙汰と)その会社を2年弱で去り、その後、淀川区内の社会福祉法人訪問介護事業所へ。こちらでは日勤として祝日も勤務しました。ところが姑さんの介護でのお昼ご飯問題、主人に帯同したい問題が起きて日勤での勤務が厳しくなって、次に西区の障害発の訪問介護事業所へ。こちらでは登録ヘルパーとして勤務しましたが、重度訪問介護を学ぶことができたのは、そこで初めてでした。そこが結局、大阪での最後のお仕事先になりました。

どこの事業所でも懐かしかったりどうしてるかなと思ったりする利用者さんたちに出会えたことは本当にうれしいこと。今でも「あの方、大阪のあの街でどうしておられるかな」と夜空の向こうに気持ちを送ってみたりする。

引越しが決まって、泣きの涙でお別れした最後の事業所での利用者さんたちを忘れられないし、一番最初にお世話になった利用者さんたちがお元気ときいてほっとしたり。

新しく来たこの街でも、そういう出会いがあったらいいな…と思っています。でも自家用車でないと訪問介護員ができにくいという事情もあるらしくて、ひえええ!!どうしましょう。いろいろ探しています。惨敗中。へたれそうだけどがんばります。良いご縁がありますように。

カットは、毎夏、大阪の親御さんの介護に帰国されるドイツ在住の大先輩がくださったお菓子。今年はうちの引越しが夏の初めだったこともあり、大阪でお会いできませんでしたが、なんと宮崎に送ってくださいました。たくさんのフルーツバーやシリアルとか。うれしいなー支えられました。またぜひお会いしたいです。

そういえば、ちょうど大先輩の親御さんが以前にお住まいだった、大阪市内の大きなマンションに、ちょうどみっつめの勤務先だったところから訪問にうかがうことになり、2ケース訪問させていただいていました。その事業所にもう少し早く移っていたら、もしかしたら大先輩の親御さんのケアにも行けたかも?とか思っていましたが、今はとてもよいところに移られましたので、またお会いできるのを楽しみにしています。

 

 にほんブログ村 介護ブログ 高齢者福祉・介護(個人)へ
にほんブログ村

 にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護(個人)へ
にほんブログ村


福祉・介護 ブログランキングへ