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ヘルパーステーションけろけろ 

身体障害2級のだんなさんと要介護3の姑さんと4人の子供たちと一緒に、大阪から宮崎まで引っ越ししてきました。家庭と介護と仕事など、様々な生活の記録です。仕事で訪問介護員をしています。

レスパイトと自己実現 けろけろの場合

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土曜日にホスピスについての講演会に参加したのだけど、ここで自分が疑問に思っていたことについて、ひとつの答えが見つかりました。

それは「自己実現のために介護するのではなく、介護の過程で自己実現していける」というようなこと。

もともと、レスパイトについて考えることが多くて、というのも、仕事で関わる利用者さんたちとそれぞれのご家族の中で大きな問題は、この家族のレスパイト。

レスパイトとは…(英語:respite)とは、一時的中断、延期、小休止などを意味する英語。 日本では、主に育児、介護、障害、医療の分野で使われる。(出典:ウィキペディア

けろけろの中では、家庭での介護体制とは別に、仕事としての訪問介護が、実は重要なレスパイトになっています。というとすごくびっくりされることが多いし、また人によっては「仕事は遊びじゃないんだから…」とおっしゃるかたも。いえいえ、仕事はしっかり責任をもってやっていますし、遊びでなど行っておりません。ただ、「レスパイト」という言葉を利用すると、どうしても「遊んでる・ゆっくりしてる」と同義語と勘違いされる方が多いのも本当です。

仕事上で「レスパイト」という言葉を使用する場合は「◯◯さんのご家族のレスパイトのために、ショートスティを2泊3日で計画しています」というような感じ。そうすると私たちヘルパーも「そうだよねーご家族もゆっくりされて少しリフレッシュだよね」というような…ゆっくりしてください、的な意味合いで使っていますね。

でもこれが、こと自身のことになると「ゆっくりする」の意味合いが大きく違う。気分転換、に似てるようでもあるけど、それとも違う。けろけろにとってのレスパイト(現時点での)は、温泉に入ってのんびりとか、テレビを見てゆっくりとか、レストランでご飯とか、お友達とケーキを食べに、とかではないんです。それで、じゃあいったいなんなんだろう…?と自分でも思っていました。いったい自分は何がどうしたくて、レスパイトが欲しいんだろう?そして仕事での訪問介護は、どうして自分としては「これがレスパイトだ」って感じてるんだろう?

昨日のホスピスを長くされている医師によれば、自己実現の欲求(マズローの表も出てきたよ)というのは、利用者(ホスピスでは入院されている患者さんたち)ももちろんあるけれども、介護者(ホスピスでは家族や看護者)にもある。

そこで、「これこれをこうしなければ、より良い死への準備ではなくなる!」的な自己実現欲求を全面においてだとよい介護にはなり得ないのだけれども、より良い介護を真摯に求めていると介護者にとって自己実現が行われてくる、というようなこと。わかりにくいようで、自分にはぴたっときました。

けろけろ自身においては、自己実現欲求が人との関係性にあり、自分では全く意識もせず気がついてはいませんでしたが、こと介護体制の中にある人間関係での自己実現欲求、つまりは、求められたい、応えたい、という欲求があるようです。なので、仕事での介護でそれがある程度満たされて、自分の中で「すごくゆっくりした」と思えるのだと思います。訪問介護では身体介護や入浴介助もありますし、またけっこうハードな現場、やりとり、またクレームもありますから、心身ともにこたえることも多いのですが、ところが自分の心理の中ではこれがレスパイトの位置づけであったようです。まったく人間の心とはおもしろい。

なので、仕事から離れたこの2ヶ月半、なんだか調子が悪いな、心がブレーキをかけているな、と思うことがありましたが、それは心理的レスパイトがストップしてしまったからのようです。また身体的にも自宅にずっといるほうが、むしろ大変なことも多いので、なんとなく身体が「外で心身ともにレスパイトしたい」と思っていたのでしょう。

昨日の講演では、ホスピス医療というシビアな現場でのお話で、自己実現される方々…特に亡くなられる方を見守るご家族は、厳しい精神状態を体験されているわけですから、ご遺族となられたあとに、「自分たちがどのように亡くなった家族と関わりケアしたか」ということが、大きくクローズアップされるようです。これはその後のご遺族の人生にも大きく影響することですし、つまりはホスピスでは、ご家族との時間をどのようにすごすか、ということが、その後の生き方につながるのでしょうね。

けろけろの場合は、まだそこまでいってはいませんが、自分の中でのレスパイトの位置が、少しわかったようでした。深夜に縫い物をする場合も、他の方に差し上げるものを作っているのが一番楽しくて時間も忘れますし、作ることそのものというより、やりとりしたい人間関係への欲求が強いのだと思います。なので、逆に、人間関係でのダメージが心身両面に出てくることもありますので、そこが自分の弱点でもあるのだとよくわかりました。

なぜこのようなレスパイトの欲求があるのだろうかと考えてみれば、おそらくは「子育て期間の長さ」「同居」「重度訪問介護状態」が理由ではないかと思います。子育てというのは、たまに雑誌などでも書いてありますけれど、母親にとれば、全く「自分がしたいことをすることができない」時間の連続です。「髪の毛をといてメイクをする」という一連の動作になぜ1時間もかかるのかというと、途中で「ママートイレー」「おしっこもれたー」「お水が勝手にこぼれたよー」「◯◯ちゃんが障子におもちゃつっこんだー」とかが入るからです。笑 ええ〜!!!っという緊急事態が多い乳幼児期をすぎても「ママーこのかけ算わからないよー」「リコーダーがみつからないー」「◯◯ちゃんがいじわるするよー」という幼稚園小学校期間もやってきて、これがまた大変…。どこかアメリカの大学だかが調査したところ、母親が何か調理なり洗濯なり買い物なり趣味なりの一連の動作を分断なくすることがほぼ不可能、という結果があったそうで、そうだそうだ、と思います。うちはこの状況が約20年連続していて、男親にしたら「母親なんだから」といいますけども(笑)いやーこの年月、自分の細かな動作が分断されまくるのはそれなりにしんどいです。笑

次に同居期間が結婚した日からなので、これまた20年です。やはり姑さんには(向こうはそう感じていないけど)気を使います。また緊張感もありますし。笑 細かいことははぶきますが(お互いのために)姑さんが体調を崩すまではやはり何らかの緊張感があって、それまでは朝ご飯は姑さん、晩ご飯はけろけろ、みたいな棲み分けで作っていたのだけど(10年くらい前)そこは自分で何でも決められる奥さんとはやっぱり違うだろうなとは思います。ただし、幼稚園バスのお迎えを頼めた、とか、上の子が夜間診療に行く時に、下の子をみてもらえた、とかのお得な得点もかなりあるんです。こまごまと。だからこそ、いまでも同居で、今後のことも考えていけるんだと思います。恩がありますしね。

最後にやっぱり主人の障害でのこともあります。結婚するまでも特に考えなかったし、結婚後も介護系の仕事を始めるまでわからなかったけれど、生活が重度訪問介護に近いんです。そういう言い方するとすごそうですけど、いや全然すごくないんだけど、たぶん、やっぱり、一般的な生活形態とはちょっと違います。それがすっごく嫌だとか、しんどいとかじゃなくても、常に主人が何を手にとろうとしているのか、とか、どういう動作をしたいのか、とか考えているというのは、一般的ではないかもしれないです。それは奥さんとして気を利かせるというのとは少し違って、どちらかというと、ヘルパーの作業に近い部分なのです。ここ数年、何かの動作のあとに主人が「ありがとねー」と言ってくれることが多くなって、最初たまげて明日は嵐か大雪かと(笑)思いましたけど、そういう言葉も最初はないし(それまでは主人も親や妹相手でお礼とか言わんかったらしいし!!)ふつふつと…笑 というのは冗談だけど、でもこれって奥さんがやるんかいな、みたいなことがうちでは普通に奥さんが(けろけろ)しているので、そこをびっくりされることもあります。(力仕事や細かいことなど)でもここ数年は、主人も丸く?なったのかお互いの方向性もしっかり決まって来た気がしています。

実際の介護家庭、ダブル介護の方々にとってのレスパイト、温泉が大好きとかもあるかもしれないし、旅行に!とかもあるかもしれませんが、むしろ自分(介護者)の求めている自己実現欲求について考えてから、レスパイトの方向性を考えるのもひとつかも知れません。

ちなみに、以前に関わりのあった利用者さんのご家族さんにとって最大のレスパイトは「心おきなく出社する」でした。そうかーわかるよー

今日のカットは、おみやげにいただいた東京バナナのバームクーヘン。うちのちびっこと姑さんに大人気です!

 

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