ヘルパーステーションけろけろ 

介護福祉士です。訪問介護しています。重症妊娠中毒症による子宮内胎児発育遅延で緊急帝王切開してから出産の度に帝王切開しました。小中高大4人の子供、身体障害者の夫、要介護3で認知症の姑さんがいます。大阪から宮崎への引越しと、そのあとの毎日の記録です。

「最も小さい者」

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「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』マタイ25:40

けろけろはクリスチャンなのですけど、小さな頃からたくさんの地方の(大都市ではない)教会を渡り歩いてきました。親の仕事と夫の仕事の関係で、です。

また病院で事務をしていた8年間は、東京にあるとても大きな教会にも行っていました。クリスマスも、今いるところとは比べ物にならないくらい盛大できれいでたくさんの人が集まり、聖歌隊ハンドベルもとてつもない教会です。

どこに行っても、たくさんの信徒さんたちとお友達になったりお話したり。

いろいろ楽しく過ごしました。もちろん楽しくないこともたくさんあるけどね。

この土曜日、けろけろと主人とちびっこは、都城の教会に出席していました。そのあと夕方に出かけて、杵築大分県)に来ている長女を迎えに行くのに、都城から直接行きたかったからなのです。長女は、寮制の中学校(広島県)にいて、クリスマスのコンサートツアーで杵築にきていました。

問題は、姑さんのことでした。

嫁(けろけろ)がいないと食事もとらないで寝て過ごしてしまい、昼夜逆転になりますし、また服薬を間違えたり、いろいろと、あれ?と思う事をしてしまいます。寝ているだけならまだいいのかも知れませんが…

そこで教会の方に相談しました。

家の隣が教会なので、なんとか礼拝に参加するようにお迎えにきていただいて、その後、昼食を一緒に食べていただけないか。

実は今までも、けろけろたちが都城鹿児島県の隼人の教会に行く事があって(主人の仕事で)その度に、宮崎の教会の方々が姑さんを迎えにきてくださり、昼食を一緒に食べてくださっていたので、そのあたりすごく安心していたのでした。

ただ、今回は、大分県杵築市というところまで行くのですが、これが往復700km超え。帰宅は未明になる予定でした。

もちろん、けろけろが残って、主人だけが迎えに行くということも考えたのだけど、ひとつには、長女がじんましんを多発していて体調が万全ではなく、先生からもお迎え要請があったこと。ふたつには、そうしていつでも「嫁がすべてをあきらめて家で面倒をみる」という体制を作りたくなかったことがあります。

特にふたつめ。

世の中の流れとしては、「家族がいるなら在宅介護で、家族が面倒をみるべき」になっています。でも鉄道事故などが起きたら「家族の責任」を問われます。

正直申し上げて、認知症者の在宅介護の大変さは、経験者以外、まったくおわかりいただけないと確信しています。どんなに性格の良い、頭の良い、すばらしい方であったとしても、こればかりは経験しなければわからないでしょう。(と思っています)

客観的にみて、「生産性のない、食べて排泄し、徘徊し、ものを隠したり、排泄の処理ができない、怒ったり泣いたり忙しい、かつては立派な成人だったひとたち」を、「いつまで続くかわからない状態」で「ひたすら感謝されることなく、むしろ本人からは罵倒されながら世話をし続け、収入はない」ということです。

正直申し上げて、けろけろはいま、介護殺人に至る気持ちも、介護離職のくやしさも、本当に心から、よくわかります。

私の人生は私のもの。そう言わせないのは社会です。

ただし、「誰よりも在宅介護が苦しい!」「誰もわからないだろ!」ではありません。

人間にはそれぞれの苦労や経験があり、みな、誰かの苦しみを「おもんぱかる」ことが可能です。だからこそ、思いやりや労りが、価値を持つと感じます。

さて、話がそれましたが、

土曜日、教会の第一長老、第二長老、おふたり、共に年配の女性ですが、この方々が姑さんの世話をかってでてくださいました。

第一長老は、ひとの世話を熱心にされる方で、教会や宗教関係なしに、近隣の困っている方々のお世話や食事の支度に走り回っておられます。

第二長老は、これまた宮崎でも有数の病院の外来の看護師さんで、非常の有能な方ですが、腰が低く、他の方の幸福を第一に考えておられます。

おふたりに、わたしたち甘えました。

お願いしました。

そうしたら、朝から(けろけろたちが出発してから)姑さんの部屋へきてくださり、様子をきいたり、長いトイレにつきあってくださり、礼拝に連れて行ってくださり(これがまた相当な大変さです)、昼食を一緒に食べてくださり、昼の服薬をお願いしていて、昼食があまり入らなかったので、ラコールを飲ませてくださり(これがまた大変。温めてほしい、というのですが、温度が本人に気に入るようにしないといけない)、その後、家に連れて行ってくださり、室内で話をきいてくださり、さらには晩ご飯用におじやを炊いてくださり、けろけろたちがその頃杵築に向かって高速をひた走っていたのですが、LINEをしてくださり、さらには晩ご飯を食べさせてくださり、服薬させてくださり、あれこれいうのをなんとか誘導してベッドで寝るようにしてくださって、鍵をかけて退室してくださったのでした。

いままで、たくさんの教会で過ごしてきましたが、こんなに親身になって、姑さんの(それも姑さんは信徒さんじゃないので)世話を、自分たちの時間を使ってしてくださった方々は初めて。

ふと、頭に浮かんだ聖句が、最初の聖句。

最も小さい者。生産性もなく、だれかの手がなくしては生活ができないような、それも自分たちの生活には、あまり関わりもないような、そういう人に対しても、このように親身になってくださった方々に、本当に感謝しました。

そして、支えられている自分というものを本当に幸運な人間だと感じた次第です。

写真は、手作りのクリスマスリース。先日、隼人の方からいただきました。

かわいい!!玄関に飾っています。

もうすぐ、クリスマス。

あなたの隣の「最も小さい者」に、心をこめて何かをできたら、と思う日々です。

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